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FA43mm F1.9Limited

FA43mm F1.9Limitedを買った勢いでブログを始めました。 最近は鳥ばかり撮っているともいいがたい現状。望遠レンズもってフィールドに出かけるのはやっぱりいいんですがね。

The World Heritage 世界遺産 端島(軍艦島)

日本は幕末から明治にかけて、西洋技術を進んで取り入れ、伝統文化と巧みに融合することで、短期間に近代化を成功させました。世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」は、1850年代から1910年にいたる、造船、製鉄・鉄鋼、石炭の重工業分野での日本の近代化の過程を伝える他に類を見ない資産群です。

8県に点在する23の構成資産の中でも、登録前から注目が集まっていたのは、長崎市の端島炭坑(通称・軍艦島)です。
1890年から本格的な採掘が始まり、海底の地下1,000mから良質な石炭を採掘し、製鉄用原料炭として主に八幡製鉄所で使用され、日本の重工業分野の近代化を支えました。大正時代以降は高層鉄筋アパートが次々に建設され、小中学校や病院、映画館まで揃った島の人口は、最盛期の1960年頃には5,000人を超え、人口密度は当時の東京区部の約9倍という過密ぶりでした。
しかし、主要エネルギーの座が石炭から石油に移ると衰退が始まり、1974年の閉山とともにやがて無人の島に。海に浮かぶ要塞のような姿から「軍艦島」と呼ばれた最先端のエネルギーの島は、徐々に「廃墟の島」と化していきました。
※端島(軍艦島)~明治日本の産業革命遺産~|日本 世界遺産|阪急交通社 より

OBOG会の翌日ツアーとして準備いただいたのが、この端島(軍艦島)ツアー
実は、先日の台風25号の影響で、見学通路が破壊され、桟橋のコンクリート部分が一部損壊する被害が出たので上陸できなくなっています。
当面、復旧の目途は立っていませんから、当分上陸はできないようです。
端島へは、長崎港から約18kmなので船で30分ほどで到着します。(実際には湾内を少し観光しながら向かいます)


軍艦島
すごく良い天気で、ベタ凪。
海上に浮かぶ要塞のような姿。まさに軍艦


軍艦島
近寄ると、驚くほど崩壊が進んでいます。
事務所棟などの跡。


軍艦島
45年近く前から無人島ですから。


軍艦島
垂直の岸壁が軍艦みたいに見えるのでしょうね。


軍艦島
右が最古(大正5年)の30号棟アパート。左は31号棟アパート。
人が住まなくなって、緑が増えました。


軍艦島
居住区の、社宅群


軍艦島
水色のは幹部用社宅か?
左に見える切妻屋根の小屋は、神社です。(拝殿はすでに崩壊)


軍艦島
灯台は、島が無人になってから建てられました。(それまでは不要だったから)
台風の時には、この灯台付近まで波が押し寄せたと言います。


軍艦島


軍艦島
近くで見るとすごいですね。


軍艦島


軍艦島
新しい護岸は、後年、補強されたものです。


軍艦島
青い海に、青い空。
そして、廃墟のコンクリートの肌。


軍艦島
神社がポツリと島を見下ろしていました。


軍艦島


軍艦島
ボートの乗客は、半分ずつ上のデッキに上がって、島を見ます。


軍艦島


軍艦島
ここで暮らした数千人のひとびとの城


軍艦島


軍艦島
白い建物は、7階建ての小学校&中学校の校舎。
当時、そんな高層の学校なんてなかった。


軍艦島
子供たちの声がこだましたであろう、廊下。


軍艦島
午後のツアーは、西日が差して、さらに悲しげです。


軍艦島


軍艦島
石積みみたいに見えるのが、「天川工法」で積まれた世界遺産の重要部分。
護岸の多くは上からコンクリートで固められていますが、島が何度も拡張されたため、島内に「旧護岸」が多数残っているとか。


軍艦島


軍艦島
三度作り直された桟橋。(ドルフィン桟橋)
今回の台風25号で破壊され、上陸できなくなっています。
桟橋が無い頃は、小舟に乗り換えていたそうですが、怖かっただろうね。


軍艦島


軍艦島
さて、端島をあとに、長崎港へ帰ります。




端島は本来、南北約320メートル、東西約120メートルの小さな瀬で、1897年(明治30年)から1931年(昭和6年)にわたる6回の埋め立て工事によって、約3倍の面積に拡張。その大きさは南北に約480メートル、東西に約160メートルで、島全体が護岸堤防で覆われている。面積は約6.3ヘクタール。その西側と北側および山頂には住宅などの生活に関する施設が、東側と南側には炭鉱関連の施設がありました。

端島での石炭の発見は1810年(文化7年)とされ、1890年(明治23年)、端島炭鉱の所有者であった鍋島孫太郎(旧鍋島藩深堀領主)が三菱社へ10万円で譲渡。端島はその後100年以上にわたり三菱の私有地となりました。
三菱による坑夫の直轄化がRCアパートの建造とともに進められ、1916年(大正5年)には日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」が建設された。
端島炭鉱は製鉄用の良質な強粘炭が採れ、隣接する高島炭鉱とともに、日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つであったため、ここまで発展したわけです。
1937年の時点で、教育、医療保険、商業娯楽等の各施設は、既に相当なレベルで整備されていた半面、仕事は非常にきつく、1日12時間労働の2交代制でした。
1916年(大正5年)以降から少年及び婦人の坑内使役が開始され、大正中期からは内地人の不足を補充するために朝鮮人労働者の使役が開始されます。(端島の黒歴史については住民はあまり語ろうとしません)
先日訪れた生野銀山もですが、鉱山での過酷な労働は避けがたく、死亡者も多数出ます。
特に端島は小さな島で面積が限られるので、人口密度をはじめ住環境が劣悪でした。

1946年には端島炭鉱労働組合が結成され、設備の近代化と同時に、労使関係の近代化が行われた。
また、1957年の海底水道開通で、いつでも真水の風呂に入れるようになるなど生活環境は劇的に改善した。
それでも、住宅問題は労使のタブーであり、会社の職員、一般の坑員、下請け労働者と、明確に分かれた住環境は労働組合にも黙認された。
人口が最盛期を迎えた1960年(昭和35年)には5,267人の人口がおり、人口密度は83600人/km2と世界一を誇り東京特別区の9倍以上に達した。
小中学校・店舗・病院・寺院・映画館・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場(スナック)などがあり、島内においてほぼ完結した都市機能を有していた。
1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により衰退がはじまる。
1964年の事故等で炭鉱の規模が縮小され、これ以降人口が急速に減少する。
ただ、人口は減ったものの機械化・合理化によって生産量も戦時中に迫る水準となり、さらに、空き部屋となった2戸を1戸に改造するなどして、住宅事情も劇的に改善した。
この時期の端島は、福祉施設の不足を賃金の高さでカバーした「シビル・ミニマムの完全充足期」と評されています。

しかし、1970年代以降のエネルギー政策の影響を受け、数百万トンの石炭を残したまま1974年(昭和49年)1月15日に閉山。
閉山時に約2000人まで減っていた住民は4月20日までに全て島を離れ、4月20日の連絡船の「最終便」をもって無人島となりました。

島は三菱マテリアルが所有していたが、2001年、高島町(当時)に無償譲渡された。2005年に高島町が長崎市に編入されたことに伴い、長崎市に継承され現在に至る。
建物の老朽化のため危険な箇所も多く、島内への立ち入りは長らく禁止されていた。
2005年8月23日、報道関係者限定で特別に上陸が許可され、荒廃が進む島内各所の様子が各メディアで紹介された。
また、島の南部の整備された見学通路に限り、2009年4月22日から観光客が上陸・見学できるようになった。

端島に残る集合住宅の中には、保存運動で話題になった同潤会アパートより古いものがいくつか含まれている。7階建の30号棟は1916年(大正5年)の建設で、日本初の鉄筋コンクリート造の高層アパートである。
端島で鉄筋コンクリート造の住宅が建設されたのは、狭い島内に多くの住人を住まわせるため建物を高層化する必要に迫られていたためであり、鉱長や幹部職員などのための高級住宅は木造であった。
岩山の南端、貯水槽の隣に灯台があるが、これは閉山によって夜間の島の明かりが無くなったため、その翌年(1975年)に建てられた。(それまでは24時間体制で鉱山が稼働していたので灯台は不要であった)
木造や鉄骨造で建設された建物は、元から荒波に晒され続けた(酷い時には島全体を波が覆う事すらあった)上に、風雨のほか、防水技術の問題や無人化によって維持管理がなされなくなったことから急速に劣化しており、1号棟(端島神社)の拝殿をはじめ完全に崩壊したものが多い。
30号棟を筆頭に古い鉄筋コンクリート建造物が取り壊される事無く手付かずのまま放棄されているため、建築工学の観点からも経年劣化などの貴重な資料として注目されている。

世界遺産としては、端島では、明治期に作られた岸壁と海底坑道のみが、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一部として、世界遺産のコアゾーンに指定されている。
これらの世界遺産(コアゾーン)は保護の義務が課されるが、これ以外の他の近代に建築された建築物などは世界遺産を保護する「バッファーゾーン」に指定されているため、保護の義務が課されず、多くは崩壊するままとなっている。
なお、海底坑道は非公開であり、岸壁はコンクリートの補強で覆われているため、軍艦島では、岸壁の表面のコンクリートが崩落した部分からのみ、世界遺産である石組を見ることができる。
明治時代に建造された、「天川工法」と呼ばれる伝統的な石組で組まれた護岸が世界遺産になる。
※擁壁造りには石積みの工法がとられ、砂岩である天草石を 天川(あまかわ)と呼ばれる接着剤で接合して行われていま したが、この擁壁がこの島ならではの独特な景観を生み出し ています。
--wikiより--


今回、上陸はかないませんでしたが、なんだかよくわからない廃墟の島というイメージだった軍艦島でしたが、
明治の産業発展の原動力であった、八幡製鉄に良質な石炭を供給した特殊な端島の歴史的背景に触れる機会を得たこと。
過酷な炭鉱労働と、過密な人口の生活を支えた高層住宅群が乱立する島の風景。
でも、「シビル・ミニマムの完全充足期」という解釈もできる、一面の仕合せも持っていたこと。
世界遺産ではあるけど、その重要な要素ではないためと、保存することが困難な自然条件、経年劣化のために、どんどん崩壊していく端島の姿は、今日、明日にも刻々と終わりへの道を歩んでいる。
どう終わるのかも含めて、どう考えても、この姿をとどめる事は不可能だと思われる。
歴史を知り、その背景を垣間見た今だからこそ、Google Street View で疑似上陸してみる。
立ち入り禁止区域も見ることができるから。
単なる好奇心だけじゃない上陸が可能かもしれない。

今だったら、端島に実際に暮らした人がガイドを務めてくれます。
彼が何を語りたいのか?実際に暮らした者の言葉には力がありました。



以下の画像はネットから。

軍艦島
俯瞰図がわかりやすいですね。手前右側が居住区で、左側が炭鉱区。
左上に突き出しているのが、ドルフィン桟橋。今は台風の被害で上陸できません。


軍艦島
上陸できていたころの地図です。
それでも見学できるのは、ごく一部でした。


軍艦島
長崎からすぐ近くですが、外海です。
近いのか、遠いのか。
接岸できない日も多く、やはり島に住むしかなかった訳です。



さて、今回の旅行もこれでおしまい。
博多に戻って、明太子買ったら新幹線で帰ります。



PENTAX KP + DA18-135mm WR



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Author:はりー
休みの日は、りかゆん(家内)と二人で鳥見生活。
何かと用事が多くて毎週鳥見に行けないのがちょっと不満です。
今は主にPENTAX KP、K3とHD560mmで撮っています。
K3から、高感度に強いKPに入れ替えました。連写性能が下がりましたので、K3と併用です。暗いところで、ISO上げられるKPの方が撮影が楽です。
りかゆんは TamronA011が重いのでLEICA 100-400mmとGX8に変更。重さが半分ぐらいになりました。
その後、LUMIXのG9proを買ったら手振れ補正やらAFやらで全然違うのでそっちがメインになってます。G9良いです。
僕の方はと言うと、ペンタの大砲レンズは素晴らしく解像しますが、動きものは苦手。KPだと連写も息切れ。
欲望は限りがありませんが、基本「気持ちよく」シャッターが押せたらそれでいいです。
なお、掲載画像の無断使用はご遠慮お願します。

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