銀谷(かなや)をあとにして、神子畑(みこばた)選鉱場というところへ行ってみることにしました。
生野銀山、銀の馬車道、鉱石の道、神子畑選鉱場跡...今、売り出し中です。
生野書院の人に聞いたら、まっすぐ北へ行って、左へ曲がって、40分ぐらいかな?という話。
急いで行けば日が暮れるまでに行けそうです。
あとから地図で調べたら、生野駅から、約17キロ(25分ぐらい)でした。
神子畑選鉱場(せんこうじょう)とは何ぞや?
神子畑も鉱山として開拓され、生野銀山の支山として栄えた後、大正6年に閉山
その後、大正8年からは、さらに奥の明延鉱山から運び込まれた鉱石を選鉱する大規模な選鉱場として生まれ変わりました。
規模も産出量も東洋一と謳われ、夜中も稼働している姿は、不夜城と称されたそうです。
昭和62年、円高による明延鉱山の閉山に伴い、神子畑選鉱場も閉鎖となりました。
現在は、基礎部分が残るのみとなっており、産業遺産として注目を集めています。

廃墟です。

たまりませんね。

この施設は、選鉱の最終工程である脱水・濃縮が行われた濾過装置
直径30mのものは、百尺シックナーと呼ばれたそうです。

現在は立ち入り禁止

こんな案内板が一枚。

選鉱場の全容です。

入りきりませんが。

少し手前に、神子畑鋳鉄橋があるというので
戻って確認。

明治16-18年フランス人技師の指導の下、神子畑鉱山と生野鉱山を結ぶ鉱石運搬道路の一部としてつくられました。
鉄製の橋としては日本で三番目。すべてが鋳鉄製の橋としては日本最古だそです。

あまり古さは感じませんね。

という事で、朝来の産業遺産はなかなか見どころいっぱいでした。
神子畑選鉱場
http://mikobata.com/
GX8 + LUMIX X 12-35mmF2.8
- 2018/03/11(日) 10:03:04|
- LUMIX X 12-35mmF2.8
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銀谷のひな祭りの続きです。
『播磨國風土記』には、「生野」という土地には昔から荒ぶる神がいて、往来する人間の半分を殺すので「死野」と呼ばれていたが、応神天皇がこれは悪名だからと「生野」と変えたというくだりがあるそうです。
「荒ぶる神」は「鉱毒」だったのでしょうかね?
「死野」の山が、銀山として開坑されるのは、平安時代初期の大同2年(807年)と伝えられています。
それから昭和48年(1973年)まで約1200年の長きに渡って鉱山として栄えました。
8代将軍吉宗の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出したという事で、
2万人を超える人々が生野銀山とともに生計を立てていたといいます。
無数の鉱夫たちが坑内発掘という危険な作業に従事し、鉱毒や落盤事故などで死んでいった事でしょう。
驚くべきは、鉱夫たちの平均寿命で、なんと30歳前後だったといいます。
今でも口銀谷の狭い町中に多数のお寺が存在しますが、鉱夫は全国から集められたので、宗派が違うお寺が必要だったこと。
また、鉱夫の賃金は良かったのでしょう。それゆえお寺も潤ったというのは、なんとも皮肉な事です。

奥銀谷に行く前に、甲社宅を見に来ました。

旧生野銀山職員宿舎(甲社宅)が保存されています。
甲というからには、上級職員の社宅だったようで、外国人技師はまた別に洋館を建ててもらったようです。
乙社宅というのもあったようです。

銀山は経済力の源泉なので、時の支配者はここを直轄地にしました。
江戸時代には徳川家康が「銀山奉行」を設置し、明治になってからは皇室財産でした。
その後三菱系の会社に払い下げられます。
現在も三菱マテリアルが、自動車部品の加工に使用される特殊工具を製造しています。

朝来市旧生野鉱山職員宿舎には4棟の建屋、甲7.8.9.19号棟があり、甲7号、8号、9号の3棟は官営鉱山であった頃の明治9年に官舎として、19号棟は明治29年に三菱の社宅として建てられました。
日本最古の社宅になるそうです。(明治9年ですから、160年も経つのですね)

甲7号は、この社宅で生まれた黒澤映画の名優「志村喬記念館」になっています。
※志村が生まれたのは、今は現存しない甲11号です。

甲8号、19号は明治時代に、甲7号は大正時代当時へ復元しています。
甲9号は昭和中期の住宅様式に復元されました。
建築当初は、鉱山所長が住んだ甲1号から、甲4号まで順に規模が小さくなり、甲5~12号は同じつくりだったようですが
様々な改修がなされ、結果的に違う形状で建てられたかのように見えます。

明治初期、この辺りにはまだ茅葺の屋根や、切妻、入母屋造りが普通で
甲社宅の寄棟瓦葺きで、洋風建築風にも見える、斬新な建物だったのでしょう。

この塀は「からみ石」で出来ています。
からみ石は鉱石から銀や銅などを精錬した後の鉱滓を成形した石で、鉱山からの廃棄物です。
明治から大正時代に作られ、建築材として販売されたそうです。
なんと、一個が約100キロもあるそうで、独特の金属光沢を放っています。
鍰(からみ)と書くようで、要するに「スラグ」のこと。

お寺の塀にもからみ石です。
銀谷の独特の風景を形作っています。

ここは、お医者さんだった住宅


お道具も立派です。

さて、2キロほど離れた、奥銀谷地区に来ました。
これは、もう廃校になってしまった「旧奥銀谷小学校」
入り口に、生野町立奥銀谷尋常小学校の旗が飾ってありました。
尋常小学校というと、第二次大戦前の事です。
それにしても、アバンギャルドな校舎ですね。

これは、小学校脇の公民館です。
ここでお昼をいただきました。

何人囃子?
何人官女?

印象的な消火栓があちこちにありました。

奥銀谷でミニコンサートを聴いて、シャトルバスで口銀谷まで戻ってきました。

ここは「生野書院」
生野書院は、林木商の邸宅(大正期)を改修し、入口には明治初期に鉱山長を務めた朝倉盛明氏の官舎正門を移設した、旧家の面影を残す資料館となっています。




ここは、石川醤油ですね。


からみ石をモチーフにしたお菓子があるというので
ガトーコバヤシで買いました。

さて、車を置いた生野駅まで戻ってきました。
まち歩きなので、今回も LUMIX GX8と12-35mmをお供に。
「重いな」と思わない重量と、暗くなければ画質に不満が無いこと。
少し望遠が足りないところがあるけど、トリミングする気ならそれほど苦にならないこと。
EVFなので、極端に露出やWBを外すことは少ないという安心感。
最近のまち歩きのお供は、LUMIXになっています。
まだ続きます。
GX8 + LUMIX X 12-35mmF2.8
- 2018/03/07(水) 23:03:04|
- LUMIX X 12-35mmF2.8
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カキオコからあれこれ食べつくして、旧閑谷(しずたに)学校へ移動しました。
閑谷学校を訪れるのは初めてです。
閑谷学校は世界最古の庶民のための公立学校と言われ、寛文十年(1670)、岡山藩主池田光政によりつくられました。
講堂は国宝です。
校門はじめ、多数の重要文化財が見られます。
カメラをRX100から、LUMIXに交換(笑)

藩士のための教育施設(藩校)「岡山学校」に続き、岡山藩立の学校として開かれました。
地方の指導者を育成するために武士のみならず庶民の子弟も教育しました。
また、広く門戸を開き他藩の子弟も学ぶことができ、就学年齢は8歳頃から20歳頃まででした。

備前焼の瓦が美しいです。
調べたら、建築当初は茅葺だったようです。

釉薬を使用しない窯変瓦で、備前焼技法が応用されている。焼き具合によって1枚1枚色合いが違うのが特徴である。
また一般の瓦が寿命60年といわれるのに対して、閑谷学校の瓦は300年経過しても殆ど割れないまま使用できている。
高い耐久性は高温で焼結されている為であるが、制作過程で変形が起きやすく、屋根に拭いたときに隙間ができて雨漏りしやすいという欠点がある
-wikiより-

一段高いところに、儒学の祖、孔子の徳を称える聖廟
創始者、池田光政を祀る閑谷神社があります。

閑谷学校の魅力の一つが、講堂の前の広場。
何も無い広場が、素晴らしい空間を演出しています。

講堂は国宝です。
さすがに国宝。

シンプルで力強く、花頭窓が美しい。

300年間磨かれた床に光が反射している。
額には「克明徳」の文字がある。
曰く、「克(よ)く徳を明らかにす」と
人間が万物の霊長といわれるのは、人としての徳性を備えているからです。
いかに秀才であっても、いかに博識であっても、高い道徳的な品性が無ければ、真の人間とは言えません。
したがって、高い道徳的な品性を身につけることは、人間のつとめるべき道であります。

講堂の裏には、文庫と火よけ山が見える。


公門:鶴鳴門(重要文化財)

すっかり落葉していますが、楷の木が紅葉したら美しいでしょうね。


特徴的な、石塀が美しいです。

火よけ山の向こうは、学房でした(現在は資料館)


文庫も美しいです。

鶴鳴門の瓦でおしまいです。
紅葉の時期にまた訪れたいと思いました。
ライトアップもあるそうです。
GX8 + LUMIX X 12-35mmF2.8
特別史跡 旧閑谷学校
http://shizutani.jp/
- 2018/02/22(木) 22:02:18|
- LUMIX X 12-35mmF2.8
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今月5回目の更新。
更新が少ないのは、写真を撮ってないから。ネタが無いから。
しばらく前から、無理やりは更新しなくなったし、一つの記事で掲載する画像の数も決めなくなりました。
10枚以上貼るときもあるし、1週間更新しない時も多いですが、今月の更新が少ないのは、1月が寒くてあまり外に出なかったからに他ならないわけです。
近年にない寒さでした。
という事で、日生の続きです。
いきなり、Mission Complete で、あとは惰性。
あまり目いっぱい予定を詰め込むよりは、こういうのも良いかも。

さて、カキオコを食べたので、五味の市へ移動です。
メンバーで五味の市に行ったことあるのはお一人だけ。
まぁ、内容も少しづつ変わるので、毎年行ってもそれなりに。
※これが、噂の「牡蠣フライソフトだ!」(笑)

すぐ隣にバーベキュー会場があって、そこで焼いて食べる方が多いです。
基本、ここで買い込んで持ち込みです(場所代、炭代がかかる)
なので、いろんな食材が売ってます。
※車エビは美しい。

特別安いものだけではないのですが、新鮮な食材が多いので、それが御馳走。

これなんか、焼いて食べると美味しそうです。

金目は、さばかないとだめですね。
なんか、愛嬌あります。
もちろん、買って帰るだけの人も結構おられると思います。

この辺りは、穴子も名物。
ここで、去年も買いました。
3尾で、1500円

牡蠣丼や、海鮮丼も良さそうです。

さて、余裕でカフェに。
事前のリサーチで、カフェのお勧めも聞いておきました。

五味の市から歩いて行ける程度の場所に、磯っていう海鮮料理屋があるのですが
その前にある、カフェ Stella
どうやら、磯と経営が同じみたいです。
※これは、ステラ・ロール

最近できた、おしゃれなお店でした。

インスタ映えしそうですか?
寒いので、中で(笑)

さて、Stella をあとに、次なる目標へ移動です。

カキオコを焼いていたおねぇさんに、鹿久島に「みかん大福があるよ!」
という、乏しい情報を頼りに、ケーキを食べながら「どこどこ?」とスマホをいじりまして
「愛媛県」ちゃうちゃう!
さかえおばさんのページを発見しました。

これが噂の(うわさも知りませんでしたが)
みかん大福。
みかんが丸ごと入っています。
さて、これで、香川チームとお別れして
残りのメンバーは「閑谷学校」へ向かいました。
つづきます。
SONY DSC-RX100
- 2018/02/19(月) 23:02:18|
- SONY DSC-RX100
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カキオコを食べに日生を訪れるのは三回目。
カキオコというのは、備前市日生のご当地グルメで、カキ(牡蠣)入りお好み焼きの略称。
牡蠣が入ったお好み焼きは各地でありますが、関西風とも広島焼きともちょっと違う、「日生焼き」というそうです。
ちなみに、「カキオコ」は備前東商工会の商標登録だそうです。

三方から日生で集合したのですが
私は、大阪方面から来るメンバーを播州赤穂駅でピックアップするため、到着が最後になりました。
さらに、カーナビが終了してから道に迷いましたので、追加でロスタイム。
ただ、先着隊が注文をしてくれていたので、着いたらちょうど出来上がっていました。

ほとんどの人が、カキオコを注文します。

手早く、カキオコが出来上がっていくのを見るのも楽しいです。

確かに、関西風でも無く、広島焼きとも違います。
まぁ、お好み焼きは、お好み焼き。

今日は、牡蠣が特別大きかったとか。

本日は、たくさんある日生のお好み焼き店の中から、「きまぐれ」というお店に伺いました。
事前のリサーチで、ここが一番牡蠣が多めという情報でしたので...(個人の感想です。)

ここが、なかなか見つけにくいお店なのでした。
つづきます。
SONY DSC-RX100
- 2018/02/18(日) 23:02:18|
- SONY DSC-RX100
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